今日は三井の誕生日だ。自称晴れ男の誕生日らしく窓の外の空はどこまでも高くきれいな青で沖縄の海を思い出す。
少し開いた窓から入ってくる風がからっとしていて気持ちいい。
「ね、三井さん。別れようか」
そんな爽やかな朝の風景にふさわしくない言葉を宮城は口にした。まるで飯何食べよっかと聞いてるような平坦な口調で。
向こう側に座ってトーストを齧っていた三井の手が止まった。丸くなった目で宮城の顔を窺う。オリーブ色の瞳が朝日に照らされちょっと金色を帯びていてとても綺麗だと感心しながら静かにその視線を受けとめた。
「は?お前急に何言って…」
「ごめん。ちょっと言葉が足りなかった。」
耳の後ろを掻きながら軽く息を吐いた。
「俺と別れるチャンスをやる。プレゼント」
一体何を言ってるんだこいつはと三井はきょとんとした顔で宮城を見つめた。まあ、わけわかんねーだろうな。宮城は視線をはずして考えを巡らせた。
...
先日三井を迎えに行った時だった。チームメイトに頭をわしゃわしゃされながら楽しそうに笑い合う三井の姿を見た時、ぐッとどす黒い何かが込み上げてくるのを感じた。懐かしくもおぞましい感覚。それが何なのか宮城はよく知っていた。飲み込まれる前に奥歯で強く嚙んで飲み込んだ。これじゃ前と同じじゃん。5年間全然成長してねーのかよ俺。
そんな自分にイライラしたけど、自分に気づいて大きく手を振って走ってくる三井にとりあえず平素を装ってお疲れ様と笑ってみせた。けど。その日からだった。三井が誰かと一緒にいる、話をする、笑う、そのすべてに苛立ちを覚えるようになったのは。
5年前も同じだった。嫉妬と不安、焦燥、執着がごっちゃ混ぜになった真っ黒で粘着質な感情が心臓を覆っていくような不気味な感覚。辛うじて理性で抑えたけど大学の友人やバスケチームの人達と一緒にいる三井を見るたびに理性が悲鳴をあげた。このままじゃ自分が壊れるか三井を壊してしまうか、どうにかなっちまう気がして、だから宮城は迷っていたアメリカ留学を急いだ。
アメリカに行くと伝えたら三井はよく決心したと自分のことのように喜んでくれた。
「だからさ、みつぃさ...」
「別れねーぞ」
別れの言葉を紡ぐ前にきっぱりと断られた。宮城を見つめる三井の瞳は真っすぐで一点の迷いもなかった。この人は人の気も知らねーでよくも、と呆れる一方で心臓がバクバク跳ねた。
なんでアンタはいつもそうやって―――
「でもすごい遠距離になるっすよ?」
「なに、ビビってんの?」
三井はニッと笑った。
「あんま考えすぎるな、宮城。俺が毎日電話すっからよ。お前はバスケに集中しろ」
「三井サン...」
なっさけない声!からかいながら三井は手を伸ばし宮城の頬を軽くつねった。
「浮気したらブッ殺すぞ」
「しねーよ」
できるわけないだろ、と心の中でつぶやく。
―――俺の欲しい言葉をくれるんすか?
アメリカにいる間、落ち着いてたからもう大丈夫だと思ったのに。
ちっとも変わってなかった。
昨日飲み会に行った三井を迎えに行った宮城は酔い潰れて知らないやつの肩にもたれ掛かってる彼を見た瞬間、ピンと張っていた理性の糸がぷっつんと切れる音を聞いた。頭の中が真っ暗になって気がついたら組み敷かれて真っ白な顔で気を失ってる三井がいた。サーッと血の気が引いて息が止まる。宮城は即刻に繋がりを解き慌てて三井の胸に耳を当てた。小さい鼓動を感じ取ってやっと息が出来るようになった。安堵するとともに涙が溢れた。後始末をしながら宮城はずっと泣いて届くはずもないのに何度も謝った。もう選択の余地など残されていなかった。
..
宮城はゆっくり深呼吸をして口を開いた。
「俺はさ、三井サンさえ傍にいてくれりゃ幸せだし生きていけるけど、アンタはそれだけじゃ幸せになれねーだろ。」
隠していた想いを言葉に乗せるのは簡単ではなかった。心臓に走る痛みに耐えながら宮城は淡々と話を続けた。気のせいか三井の顔が少しぼやけて見えた。
「アンタを誰の目にも触れない所に閉じ込めたいし、その笑顔もその優しさも全部俺だけに向けてほしいって、
ね、三井サン。俺アンタが他の奴らといるところ見るたびにこんなこと考えてんの。引くだろ?気持ち悪いよな」
目の前の風景が崩れ落ちてまたぼやける。向こうで息を呑む気配がした。
「だから俺から逃げてよ」
「宮城」
席から立ち上がり宮城に近づいてきた三井は床に膝をついて彼を見上げた。俯いてる恋人をしばらく見つめてから手を伸ばし親指でそっと涙を拭い触れるだけの軽いキスをした。宮城の涙ぐんだ瞳が少し見開いた。
「こんなことをするのも」
三井は宮城の手を引いて手のひらを自分のお腹に当てる。
「この中を知ってるのもこの世でお前だけなんだぜ?それでも足りねーか?」
視線を少し下に逸らしながら唇を尖らせる三井の頬は桃色に染まっていた。つられて宮城の耳もカッと熱くなる。手の甲で目を擦ってその時ようやく三井が膝を床についてることに気付いた宮城は慌てて三井の両腕を掴んで立たせた。
「膝そんなふうに使わないでよ」
「わりぃ」
「...足りなくないっすよ。むしろ充分すぎるぐらい。だから―」
「そんなに不安か?」
宮城は素直にこくりと頷いた。今更誤魔化したところでなんの意味もない。三井さんは何も悪くない、全部俺のせいとつけ加えるとため息とともに頭をわしゃわしゃされた。
「まあ、聞け」
三井は一回咳払いをした。
「今のチームの契約さ、一応今年までなんよ。」
「?」
「凄腕のシューティングガード要らない?ポイントガード以外はなんでもできるぜ。」
「え、いや、でも今のチームでうまくやっているんじゃ…」
「な、宮城」
両手で宮城の顔を包んではコンと額同士を軽くぶつけた。
「優先順位ってもんがあんだろ。今俺が一番優先してるのはお前とバスケなんだよ。
高校ん時みてーに同じチームだったらお前も少しは安心できんだろ」
なんでいつもそうやって―――
「それによ。俺もお前とまた同じチームで一緒にバスケやりてんだ。」
まあ、お前のチームから誘いが来ればの話だがな。と三井はそこだけちょっと自信なさげに口ごもる。
「だからそれまでは我慢しろ」
「…うん」
―――俺の欲しい言葉をくれるんすか?
座ったまま三井の腰をぐいと引っ張ってぎゅっと抱きしめるとまた優しい手つきで頭を撫でられた。鼻孔をくすぐる恋人の匂いを胸いっぱい吸い込んで満足げにため息を零す。宮城は顔を埋めたまま聞いた。
「ね、俺重くないっすか」
「現役選手ナメんな。お前ぐらい余裕でおんぶして歩けるわ。」
くせっ毛をいじっていた長い指が宮城の耳たぶを引っ張る。
「何それ。てか俺ウェイト結構増えてるっすよ」
「知ってる。昨日たっぷり体験したからな。」
「......サーセンでした」
顔を上げて上目遣いで見上げる。この顔に三井が弱いってのは知っている。三井はフッと笑ってこれで許してやろ〜と両頬をつねった。
「一人で溜めてねーでさ、俺にもおすそ分けしろぃ」
「......うん、努力する」
三井はコクリと頷く宮城を愛おしそうに抱きしめた。
「三井サン」
「ん?」
「ごめん。今日誕生日なのに変なこと言って」
「そーじゃなく他に言うことあるだろ」
「誕生日おめでとう。生まれてきてくれて本当にありがとう」
宮城は椅子から立ち上がって三井の唇をそっと舐めて自分の唇を重ねた。絡み合う吐息からメープルシロップの甘い香りがした。
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