教室の窓の外に広がる空は昨日の土砂降りが嘘だったかのように高く綺麗な青色に輝いていた。たまにその上をのんびりと泳ぐ白い雲の欠片が余計真っ白く見えるほどに。窓側の一番後ろ席に座ってる宮城は頬杖をついて外の景色を眺めていた。
4時間目は数学だったが、担当の先生に何かあったのか教頭に呼ばれたらしく暫く自習とのことだった。真面目に勉強するやつ、集まって喋ったり笑ったりするやつ、ずっと寝てるやつ、と皆思い思いに時間を過ごしていて教室は少し騒然としていた。
「三井サン何してんだろ」
空を見上げてぼそっと呟いた。そりゃ授業中だろうけど。多分、いや絶対寝てる、かけてもイイ!とひとりでクスクス笑いながら宮城は青空を眺めていた視線を机の上に落とした。開きっぱなしの白いノートの上にシャーペンを滑らせる。
『三井寿』
何となく今頭の中を占領している人の名前を書いて小さく読んでみる。みついひさし。ただそれだけで胸の奥が甘く疼く。
「俺の名前はテストに出ねーぞ?」
いきなりすぐ隣から聞こえてきた耳に馴染む声に、はっ?となってそちらに顔を向けると教室の窓辺からひょっこりと今頭の中で絶賛沸騰中のその人が現れた。突然の登場に驚きのあまり心臓が口から飛び出そうになる。鼓動が早く鳴りすぎてヤバい。焦ってとにかくノートを閉じた。
「は?な、なっ、何でアンタこっちにいんの!?」
「自習。眠くなったから抜け出してきたわ」
「不良やめたんじゃねーすか?」
「うるせーな、いーだろ!どうせ勉強しねーんだし」
いや、少しは勉強してくださいよ。と呆れ顔で言う宮城に「はいはい」と適当に答えて三井は教室の中を見回した。
「ってお前のクラスも自習か?」
「そーすよ」
「で、何で俺の名前?」
あーやっぱ話戻すんだ。宮城がきまり悪い顔でそっぽ向いて「…いや…別になんとなくっす…」もごもごと話す様子を見つめていた三井は「お前耳真っ赤!」とニッコリと笑った。爽やかな笑顔が後ろに広がる青空とピッタリ似合いすぎて何かのCMでも観てる気分になる。
「お前俺のこと本当好きな」
「……そうだけど。わりーかよ」
「いーや。うれしいに決まってんだろ」
自分の頭を撫でようと伸ばされた三井の手を宮城は軽く避けながら「髪さわんなよ!」と睨みつける。
「いーだろ、減るもんじゃねーしよ」「いーや。減ります」「ケチ!」とくだらないプチ言い争いから自然とバスケの話になり部活とか試合の話で盛り上がる。三井とのこういう会話はためになるし何より楽しい。
「あ、そうだ」と何か思い出したのか三井が言い出した。
「な、宮城よ。腹減ってねーか?」
「え?まぁ、そこそこ」
そんなん聞いてどうすんだよって顔で首を傾げると三井は得意げな顔で上着のポケットから何かと取り出した。長方形の紙箱にはビターアーモンドチョコレートと書いてある。
「クラスのやつに貰ったんだけど、お前甘いの苦手でもこれなら食えんだろ」
「…まあ」
クラスのやつって何奴?なんでチョコなんか貰ってくるの?!と口に出しかけたが、寸前で踏みとどまる。まるで浮気疑惑でも問い詰めるみたいで格好悪いし、何よりそういうことじゃないのもわかってる。バレンタインデーはとっくに過ぎてるし、別に三井が悪いわけでもない。ただ頭ではわかってても感情はまた別なのだ。この人たらしめ…あの笑顔を他の奴らにも見せてるのかと思うだけでモヤモヤする。
人の気も知らずに当の本人は楽しげにに箱を開けていた。開けられた蓋からツヤのある焦げ茶色の丸々としたチョコを一粒摘んで「ん」と宮城に差し出す。
こうなったら全部俺が食ってやる!とムキになったけど、表向きは何ともないふりして受け取ろうと手を伸ばしたが、ひょいと交わされた。何?怪訝そうに片方の眉毛を吊り上げて三井を見上げると悪戯っぽい顔でニヤニヤしている。
「はい、あーん」
再びそれが口元に差し出された。宮城はチョコと三井の顔を交互に見遣って短い溜息をつくと口を開きパクっと食いついた。カリッと奥歯で噛み砕くとほろ苦い甘さとアーモンドの香ばしさが口の中に広がる。 まあ、味としては悪くない。
「うまいか?」
「ん」
頷くと三井は満足そうに笑みを浮べ、また一粒差し出した。そうやって何個か食べさせられるうちに体温に溶けたチョコで三井の指先が汚れていくのをじーっと見ていた宮城が席から立ち上がってその手を掴み指を舐め始めた。2番目の関節からゆっくり舐めあげるとビクッと手が震える。三井はビックリして反射的に手を引っ込もうとしたが、びくともしない。力では宮城に勝てない。
「おっ、い、宮城やめっ」
舐めていた指先を口の中に含み優しく噛みながら視線だけ三井の顔に向けるとよく熟れたリンゴみたいに赤かった。
あーあそんな顔しちゃって。
解放してやると慌てて手を後ろに引っ込みまだ赤い顔で睨んでくる。
「何だよ急に!」
「三井サンって、本当にさ」
視線は三井に固定したままゆっくりと言葉を並べながら横に束ねてある白いカーテンのタッセルを解いてカーテンの端を掴み自分の後ろから反対側に引っ張る。即席で教室と遮断された空間が出来上がった。
「無防備っすよね」
片方の手で三井の後ろ首を掴んでは引き寄せ唇を合わせた。突然の出来事に三井が戸惑ってるのをいいことに少し開いてる唇を舐めてその割れ目に舌をねじ込ませた。前歯をじっくりなぞると緊張したのか三井の体が固まるのを感じた宮城は少し目を開けた。三井の手が細く震えてるのが見える。まだあの屋上での事を引きずっているんだろう。それが罪悪感なのか、ただの恐れなのかはわからないけど、宮城にとってはどちらでもよかった。今この瞬間この人の頭の中を自分でいっぱいにできるなら何でも。本当イイ性格してるよ、俺。こんなんでごめんね、三井サン。でも今日はアンタも悪い。そんなもん貰ってきてあんなことするから。
宮城がそっと三井の手を取り指を絡ませて握ると少し間を開けてぎこちないけど握り返してきた。
さらに深く入って舌を執拗に絡めて吸いつく。
「ん…ふ…ぁ……んっ」
時折唇の間から艶やかな吐息が零れる。ちゅうちゅっと唾液の濡れた音が漏れ出したがどうせ教室の中もうるさいし、バレねーだろ、と三井の口の中を気が済むまで舐め回して舌を擦り合わせた。ぬるぬると柔らかくて温かい感触が気持ち良くて酔ってしまいそうになる。
三井が肩で息をし始めた頃にようやく細い透明な糸を引きながら唇を離した。
「…ん…うっ……はぅ、みゃ、っぎ…はぁ…はっ……んっ」
やっと流れ込んでくる空気を必死に吸い込もうと肩を上下させながら潤んだ瞳がうっとりとした眼差しで宮城を見下ろす。その様子が可愛くて両手で頬を包みチュッと触れるだけのキスをした。
「あんまり煽んないでよ」
互いの息を感じられる程の至近距離で淡い色の目を見つめながら甘ったるい声で囁くと目を逸らされた。
「っ…こんなとこで盛りやがって」
「いやだった?」
「……べ…別に嫌じゃねーけどよ」
唇を尖らせてぶっきらぼうにそんなこと言うものだからまたキスしたくなったが何とか抑えた。
代わりに、
「これは没収」
三井が手に持っていたチョコの箱をやんわり奪い取る。
「知らないヤツからこんなの貰うの禁止な」
「は?知らないやつじゃねーし」
「俺が知らない」
拗ねた口調で言う宮城をきょとんとした顔で見つめていた三井はくすりと笑った。
「なにお前嫉妬か?」
「…そーだよ」
素直に答えた。隠したってしょうがないし、この気持ちが解決するわけでもない。
「アンタ無駄に顔いいし、声もそう。性格もそんなんだからみんなに好かれるだろ」
「そんなんってお前な」
「だから」
宮城は頭を下げそのまま三井の胸元に埋めた。ほんのり汗の匂いと柔軟剤の清涼感のある香りが混じった心地良い匂いが鼻腔をそっと撫でる。深く息を吸ってゆっくり吐いた。先からずっと心臓バクバクだ。
「つい焦っちまう」
「宮城…」
「引くよね。俺まじカッコ悪い」
「バーカ、なーに言ってんだ。引かねーよ」
三井は両手で宮城の顔を持ち上げて頬をつねった。「いひゃい」と頼りない声を零す彼にニッコリと笑ってみせて片方の眉に軽く口づけた。
「お前にも可愛いトコあんじゃん」
「んだよ、それ」
「なぁ宮城」
初夏の蒼天にも負けないキラキラな笑顔の三井が眩しくて宮城は目を細めた。こんな透明で綺麗な人が自分の恋人だってことがたまに信じられなくなる。
「大好きだぜ!これから毎日言ってやるよ。俺嘘すげー下手なの知ってんだろ」
「三井サン…」
宮城の目が見開く。
三井は拳を宮城の胸にぽんと軽くぶつけた。触れられたところから小さい熱が生まれる。
「だからもっと自分を信じろ。俺を信じろ」
真昼の太陽みたいに熱く眩しくて
夜空の一等星みたいに明るいけど繊細で優しくて
多分俺一生この人には勝てねーな、と宮城は吹っ切れた表情で小さく笑った。中から湧き上がってくる欲に従い、ひょいと窓を乗り越えて三井に抱きついた。
「俺もサボる」
「おう。じゃ屋上でも行くか」
教室の窓辺になびく白いカーテンをチラッと見遣ってから前を向いた。繋いだ手を優しく引っ張る恋人と共に青空の下を歩く。
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